重言、つまり言い換えると重ね言葉ですが、それを見つけるたびに毎度毎度何度でも「それは重言だ」と鬼の首を取ったように喜び勇んで指摘する人がいたりするんですが、それってなんだかどうにもまるであたかも重言が言葉の用法の誤用をしているように言っているような感じを感じるのです。
確かに実際同じ意味の同義語を複数重複させて何度も使うのは長くて冗長で、スマートに言う言い方とは考えにくいのですが、だからといってそれがすなわちすぐに間違った誤用であるという根拠にもならないわけです。
まあそんな、「重言でもいいじゃないか」という話はhttp://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ktb018.htmとか他にもあるわけで、私が特に納得いかないのは、重言を探すのに夢中になるあまり「重言だから何なのか」というのを見失い、あれも重なってるこれも重なってると、問題のないものまで論ったり、「正しい言い方」として全く意味の異なる表現を持ち出したりする人が多いんですよね。
例えば「必ず必要」。
これ、2つの「必」は意味は同じですが、文中での働きは全く異なります(「必ずしも必要ではない」という組み合わせを考えれば明らかなはず)。
例えば「ハンドルネーム」。
「重複」と同じ構成の熟語だと思うんですわ。
例えば「約数十」。
単に数十だけだと、一の位が0固定なのか0~9の間で動くのかが曖昧ですが、「約」が付くことで後者であることがはっきりするわけです。
この情報化社会、冗長さを無闇に切り捨てようとするのではなく、うまく付き合っていくことが大切なんじゃないかなって、思います。